2012年3月12日月曜日

アサダワタルの場合

2012年を迎えましたね。皆さん、いかがお過ごしでしょうか?
先達てとある企画で「いろいろ“かせぐ(稼ぐ)”」というテーマのトークをしました。
人はお金だけじゃない色々な価値を稼いでいる、そのことに意識的になることで生き方・働き方が変わるのでは? こんなことを参加者と語り合いつつ、僕自身のこれまでの仕事の変遷を紹介したのですが、まずもってこの「稼ぐ」という言葉の語源が気になったので調べてみたのです。

ー 稼ぐという言葉は、元々、お金などを得ることが主ではなく、仕事に励むことを表した ー
(中略)
ー 紡いだ糸を巻き取る道具の「かせ」に由来する説がある。紡いだ糸をかせに巻くことを「かせぐ」という。そして、かせは休みなく動いているように見えることから、かせのように仕事に励むことを「かせぐ」といったものを考える。また、稼ぐの「かせ」は「かせ(日迫)」の意味で、昼夜に迫り、止まる所を知らないことをいったとする説もある ー
(ホームページ「語源由来辞典」より引用)

まず興味深いのは、「元々、お金などを得ることが主ではなく」ということ。そして「昼夜に迫り、止まる所を知らない」といった、とにかく動き続けていることを指すのも面白いと思いました。前者に関して言えば、まさに僕が語りたかったことを裏付けるかのような意味ですが、後者まで含めて考えると、より一層「CIY」のゲストの人たちが語って来た「動き続ける方法」みたいなことを思い起こさせてくれます。

僕自身の実感として、また「CIY」のゲストの方々から感じたこの「動き続けること」を可能してくれる源泉は、ずばり「関係性」だと思います。それは巷で頻繁に語られる絆とか繋がりみたいなイメージではなく、「出来事を融合をさせ、関係づけること」を武器にして生きていくことを指します。「CIY」ではとりわけ仕事における「分野」という考え方をどのように語っていくか、このことに焦点をあててきました。「分野」は、近代科学が発達する過程において、人間の活動における領域を細かく区分けしていくことで、専門的に発展した知識や知恵を量産するために形成されてきたと考えられます。そのことを善し悪しで語るつもりはないですし、もちろん僕自身十二分に「分野」における恩恵も受けているという自覚もあります。しかし、ひたすら領域を区分けしていくというそのベクトルに対して、ちょっと逆らってみたいという反動が僅かながらも生まれて来ていると思うのです。切り分けることによる知の構築から、関係づけることによる知の構築へ。しかしそれだけでは、まだ「動き続けること」が可能になる「関係性」には満ちず、そこで必要なのは「自分ごと」が「社会ごと」として要請されるイメージを持ち続けることだと考えます。区分けをなくし、様々な人や出来事と関係していく中で生まれる重層的な絡まり方は、仕事を始めた時の個別化された動機による一本の糸(意図)を複雑に縺れさせ、決して解けることのない数々の結び目を生み出します。この時、「動き続けること」は、外からの要請として成り立ち、同時に自分が動くことが、社会に直接手を突っ込んで触れられるという感覚を生み、そして、その感覚がより一層の「動き続けること」の動機となっていくのです。

最後に、この個別化された糸が幾重にも編みなされていく変遷を語る、最も有効な手段として、僕は「芸術的思考」を使うことを掲げます。なぜなら芸術家が芸術作品を作るプロセスそのものが、個と社会の間に隔たる道を高速で行き来する思考そのものだからです。「芸術的思考」獲得というレッスンを経て生まれた「CIY」的な人々が多数「稼ぎ」続けながら、そのことで芸術家もまた芸術という「分野」に閉じない新たな「関係性」を模索する。こういったサイクルをこれからも生み出してゆくことを目指したいと思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿