2012年3月19日月曜日

サトウアヤコさんの場合


やりたいこと or ?
CIYの会場で会ったひとたちに、
自分のやりたいことをやっていきたいか、人からおもしろい依頼が欲しいか聞いてみた。
やりたいこと!な人
やりたいことのために、今は頼まれたいという人。
頼まれることこそがおもしろいという人、とそれぞれ。

私も頼まれたい方だとその時は言っていたけれど、その後少し考え方が変わってきた。
今は関心のあるテーマやプロジェクトに、コミットしたいと思っている。

会場の外(CIY)でした話の中で、
「やりたいことをやってきたから今の形になった」というよりは、「やりたくないことをやらないで済むようにしたら今の形になった」というケースが多いかもしれないという話を聞いた。
多くの人は、やりたいことをやっているように(外からは)見えるけれど、実際はそうでないかもしれないと思えたのはとてもよかった。


減らす
CIY2の1日目、米田智彦さんの話で、「クリエイティブ・シュリンク」という言葉が印象に残った。
減らすことや縮小すること。
増やしたり広げたりすることばかりではなくて、「これは現状維持する」「これは減らす」ということを選択していければ。

米田智彦さん(撮影:久保木裕子)


 











CIY
CIYという概念は「発信する」というところがしっくりこなかった。必要なのだろうか?と思っていた。
ただ、大学は建築で入学し卒業時は情報工学、今はwebの仕事をしているという自分の場合、「建築」「情報工学」「デザイン」「写真」などの間の境界領域にいてどこにも入ってないと感じる。

1回目のCIYに参加した時は、「フリペ作りたい」となんだか煽られる気持ちになって帰ったのだけれど、そういうことではなくて、
「私はこのように仕事をする」と決めることで、自分のいる境界領域をカオスのままにしないということは大事だな、とCIYが終わって話をしていく中で思うようになっている。


2012年3月17日土曜日

有馬美樹さんの場合

<CIYと私の場合>

キュレーション◆人力で情報を収集、整理、要約、公開(共有)すること。

私の場合、

自分の本当に好きな仕事をやろうと思ったとき、
それは「なんか動かなきゃ、もう人に使われるのはもうまっぴらだ!」と感じたとき。
既存のやり方、働き方ではいつまでも自分自身が楽にならないなぁと思った。

なんか“ちょっとしたこと”でも自分の得意なこと好きなことをみつけ、まじめにやって、、
何らかの形でそれを今まで私の知らなかった人、関わりのあまりなかった“新しい人たち”に発信する。
その反応を見ながら、つながりをすこしづつ丁寧につないでいくしかないだろうと。

今まで特に専門分野に特化しないで好きなことを適当にやってきたので、
なにか切り口(突破口)はみつけて、それからどんどん派生して仕事を作っていく。つながりをもっていきたい。

たぶん私は文章を書いたり、物を作っていくのが好きなので、
そのようなものを媒体にして、苦手な人間関係構築も克服?(できないかも)

CIYと私の関係は、怠け者(すぐつながりをつくることをサボる、情報発信をするのをサボる)の私のよき、交流の場、表現の場、鍛錬の場であり、
同じような感性の人たち(何かはじめようとしている人たち)のプラットフォームではないかと思う。



<CIYでどんなゲストに一番心魅かれたか?>
りそな総研の藤原 明さんはCIY講座前から知っており、
藤原さんのやっておられることや、理念などに魅了されての仕事に入ったので、その他で心惹かれた方を特に上げるとすると、
赤星 豊さん。
東京でバリバリ最先端のことをやっていたのに、親の介護のために故郷に帰られて地方に拠点を移しながらも
仕事のレベルを落とさず、発信の方法だけ変えて、小さな地方都市から世界に向けて最先端のものを発信する。
なんか、飄々としたお方であったが、かっこつけないで正直に自分のやりたいことをやっているむちゃくちゃ魅力的な人だと思う。
今お住まいの岡山県の児島市もぜひ行って見たいと思った。

赤星豊さん(撮影:直江竜也)














その他にも、ルーカスB.B.さんも、仕事の内容も“言わずもがな”ですばらしいが、パーソナリティが誰でも受け入れるような魅力的な暖かさを持ちとても印象に残ってる。
電書の米光一成さんも、ノマドの米田智彦さんもそれぞれみんなとても魅力的、私を触発させた方々です。

<CIYで出会いは生まれたか?>
もちろん生まれたし、自分から積極的に小さい縁かもしれないけどつないでいきたい。
CIYでFacebookもはじめてやったし(まだまだ活用は不十分だが)、いろんな媒体をもとに、
1つの細胞が分裂してどんどん増えていくような活動をCIYを通じてやっていきたいと思っている。

2012年3月15日木曜日

市川貴啓さんの場合

知人の展覧会に行った時に、週末にこういうイベントがあるとチラシを渡されて、初めてCIYについて知りました。僕は、誘われたらとりあえず行ってみるという、良く言えば好奇心の強い、悪く言えば流されやすい性格なので、CIYのイベントにも行ってみる事にしました。

さきほど述べさせていただいた性格なので、色々なアーティストやクリエイターのイベントに行き刺激を受けてきたのですが、CIYはいつも違った刺激を受 けました。それは、クリエイティブの仕方もそうですが、仕事自体に対する考え方に新しい価値観が見出すことができたことです。特にトークゲストのりそな銀行に勤める藤原さんは、出会った事のないような人でした。

僕は、今大学3回生で就活真っ只中で銀行の人達のお話を聞く機会があるのですが、藤原さんは銀行の中でも異端と思える存在でした。彼は、銀行という真面目 で遊びよりも安定といった場で、クリエイティブをしていった話をしてくれました。音楽フェスと提携したり、りそな銀行でイベントを開いたり(中でそういっ た事は行なうといった事は無かったらしい)彼の、組織に属しながらその中から面白い事をどうやってしていくのかという話は、こういった人もいるんだという 発見でした。

藤原明さん(撮影:直江竜也)














僕の頭では(僕だけでなく多くの人もだと思うが)、映像なら映像業界、広告なら広告業界といった風に、専門的な技術を身に付けてクリエイティブをするとい うもんだと思っていました。ただCIYのジャンルを横断するといった考え方は、僕に「他の業種もみてみるか」という気持ちにさせられました。自分のやりたい事は、自分のやりたい環境に行けば出来るのではなく、自分から作り出していく。

ひどくベタ褒めをしてしまいましたが、ハッキリ言っていわゆる就職活動よりも就活ができたなと思っています。今は、映像業界一本で絞ってた所を白紙に戻して、また悩んでいるところです。

2012年3月12日月曜日

アサダワタルの場合

2012年を迎えましたね。皆さん、いかがお過ごしでしょうか?
先達てとある企画で「いろいろ“かせぐ(稼ぐ)”」というテーマのトークをしました。
人はお金だけじゃない色々な価値を稼いでいる、そのことに意識的になることで生き方・働き方が変わるのでは? こんなことを参加者と語り合いつつ、僕自身のこれまでの仕事の変遷を紹介したのですが、まずもってこの「稼ぐ」という言葉の語源が気になったので調べてみたのです。

ー 稼ぐという言葉は、元々、お金などを得ることが主ではなく、仕事に励むことを表した ー
(中略)
ー 紡いだ糸を巻き取る道具の「かせ」に由来する説がある。紡いだ糸をかせに巻くことを「かせぐ」という。そして、かせは休みなく動いているように見えることから、かせのように仕事に励むことを「かせぐ」といったものを考える。また、稼ぐの「かせ」は「かせ(日迫)」の意味で、昼夜に迫り、止まる所を知らないことをいったとする説もある ー
(ホームページ「語源由来辞典」より引用)

まず興味深いのは、「元々、お金などを得ることが主ではなく」ということ。そして「昼夜に迫り、止まる所を知らない」といった、とにかく動き続けていることを指すのも面白いと思いました。前者に関して言えば、まさに僕が語りたかったことを裏付けるかのような意味ですが、後者まで含めて考えると、より一層「CIY」のゲストの人たちが語って来た「動き続ける方法」みたいなことを思い起こさせてくれます。

僕自身の実感として、また「CIY」のゲストの方々から感じたこの「動き続けること」を可能してくれる源泉は、ずばり「関係性」だと思います。それは巷で頻繁に語られる絆とか繋がりみたいなイメージではなく、「出来事を融合をさせ、関係づけること」を武器にして生きていくことを指します。「CIY」ではとりわけ仕事における「分野」という考え方をどのように語っていくか、このことに焦点をあててきました。「分野」は、近代科学が発達する過程において、人間の活動における領域を細かく区分けしていくことで、専門的に発展した知識や知恵を量産するために形成されてきたと考えられます。そのことを善し悪しで語るつもりはないですし、もちろん僕自身十二分に「分野」における恩恵も受けているという自覚もあります。しかし、ひたすら領域を区分けしていくというそのベクトルに対して、ちょっと逆らってみたいという反動が僅かながらも生まれて来ていると思うのです。切り分けることによる知の構築から、関係づけることによる知の構築へ。しかしそれだけでは、まだ「動き続けること」が可能になる「関係性」には満ちず、そこで必要なのは「自分ごと」が「社会ごと」として要請されるイメージを持ち続けることだと考えます。区分けをなくし、様々な人や出来事と関係していく中で生まれる重層的な絡まり方は、仕事を始めた時の個別化された動機による一本の糸(意図)を複雑に縺れさせ、決して解けることのない数々の結び目を生み出します。この時、「動き続けること」は、外からの要請として成り立ち、同時に自分が動くことが、社会に直接手を突っ込んで触れられるという感覚を生み、そして、その感覚がより一層の「動き続けること」の動機となっていくのです。

最後に、この個別化された糸が幾重にも編みなされていく変遷を語る、最も有効な手段として、僕は「芸術的思考」を使うことを掲げます。なぜなら芸術家が芸術作品を作るプロセスそのものが、個と社会の間に隔たる道を高速で行き来する思考そのものだからです。「芸術的思考」獲得というレッスンを経て生まれた「CIY」的な人々が多数「稼ぎ」続けながら、そのことで芸術家もまた芸術という「分野」に閉じない新たな「関係性」を模索する。こういったサイクルをこれからも生み出してゆくことを目指したいと思います。

CIY日記その3(後藤哲也の場合)

2月23日(水)午前3時。CIY開催まであと3日というタイミングで書くCIY日記。過去を振り返る前にイベント当日のための準備をしたいというところが本音ですが、フリーパーパーをやろうと言い出したのは自分。なんとか、気持ちの時間を少し巻き戻して、2010年10月からのCIYのプロセスを記録します。

2010年10月5日(火)
ゲスト交渉:馬場正尊さん@Open A
この日はアサダさんと新幹線で2時間半みっちり打ち合わせ。考えてみると、この時初めてしっかりいろいろと、CIY以外の話もできたような気がする。(ちなみにおねえさんとは同じ大学だと判明。)やっていることや、やりたいことを、しっかりと言葉にできることにいつも感心する。
馬場さんのオフィスOpen Aは新日本橋にある、まさに”R”なオフィス。馬場さんのCIYなメディア『A』は、ArchitectureやArt、Anonymous、Anythingなどを表す頭文字。”A”や”R”などの文字に意味を集約化させ、アイコン化するというやり方には、CIYも少なからず影響を受けているかもしれない。『A』を何故スタートさせたかと聞くと、「どこかに向かって走らないと自家中毒に陥りそうだった」との答え。そして、始めたことによって「確信のないときに、メディアをつくることで自分の立ち位置を見つける」ということができたという。メディアをアウトプットとしてだけではなく、自身の活動のプロセスとして、再度自身の活動に還元させていくというのは、CIYな人たちの共通項かもしれない。馬場さんとの打ち合わせは、ゲスト交渉の中で一番短かったが、内容は濃密でいろいろとヒントになるところも多かった。

2010年10月14日(木)
会場見学@大阪市役所
会場に関しては中之島の中央公会堂も候補に上がっていたが、いろいろな条件等を検討し、大阪市役所の玄関ロビーを使わせてもらうことになった。いかに“役所”の使い方にアイデアを加えられるかということは、とても面白いチャレンジで良い場所だと考えた。会場構成に関しては、僕の友人の京都在住のドイツ人デザイナー、ビアンカ・ボイテルに頼むことになった。

2010年11月12日(金)
打ち合わせ@梅田UCCコーヒー
私的なことだが、娘が産まれてから初の打ち合わせ。この辺りから生活と仕事のペースがまったく掴めなくなってくる。この時の打ち合わせは、1時間以上の大遅刻。女性だけでなく、男性も子どもが生まれるといろいろと体質が変わるのか?
この日の打ち合わせは主にチラシの打ち合わせと、今後の進め方について。ちなみに、この時点のチラシラフは、スクリプト書体を多用したちょっと可愛らしい感じだった。

2010年12月14日(火)
ゲスト交渉:橘ジュンさん@カフェメルト(東京・渋谷)
最後のゲスト交渉は、援助交際やリストカットなど生きづらさをを抱える少女たちの声を『VOICES MAGAZINE』というフリーペーパーを通じて届ける活動をしている橘ジュンさん。自分の表現や自分の活動を発信するのではなく、社会問題を追いかけ、フリーペーパーというメディアを自ら作って伝えるという2つの大変な仕事を継続的にこなすことは、すごく大変なことではないのか、なぜそれが続けられるのかと思っていたが、本人にお会いするとすぐにその思いは吹き飛んだ。橘さんは、とてもエネルギーに溢れ、思ったことはまず実行する人なのだ。理屈や枠組みを作ることから始めるのではなく、まず実行。そのプロセスの中で必要な道具を取捨選択していく。想いにドライブされ、壁にぶつかってからそれを乗り越える方法を考えるというのも、愛のあるCIYのあり方だなあと考えさせられた。

2010年12月15日(水)
チラシ入稿。最終的に、目次的なデザインにして、本番に参加者みんなでコンテンツを作り上げていくという意味合いを込めた。また、ゲストは印刷物をメディアとする方がほとんどなので、CIYにかけたCMYの三色とスタンダードなホワイトの紙をKに見立てた4色のチラシを作成。チラシを持った参加者が集まることで、色が混ざり、また新たなCIYな活動が生まれていく期待も込めた。

2010年12月27日(水)
フクドクペーパーvol.-3出力@コニカミノルタ
自ら言い出したフリーペーパーを、勢いだけで作成。この時期は僕らOOOで発行するFLAGの入稿やその他もろもろの仕事が重なりまくり、仕事納めまでフリーペーパーの作業をという、自分の首をしめまくった年末。年内発行の予定だけは、なんとか死守した。フリーペーパーの発行は、コニカミノルタの協賛でショールームの機械を使わせてもらっているのだが、折りもホッチキス留めも全部自動でやってくれて、本当に待つだけで良いという至れり尽くせりな条件。

2011年1月12日(水)
会場構成打ち合わせ@大阪市役所
ビアンカよりCIY会場構成の提案。限られた、本当に限られた予算の中で、CIYの告知ツールのイメージも踏襲しながら、ブリコラージュ的なやり方で、コミュニケーションを生み出す仕組みを考えてくれた。クリエイティブな人たちに囲まれたプロジェクトで、幸せを感じると同時に、ひとつひとつのプロセスに刺激を与えられ、自分の仕事にも還元されていく。

と、ここまでで字数オーバー。あと少しというところですが、大まかなところは拾えたと思います。CIYは次回開催も決定している?ので、第二回に向けたメディア展開のなかで、この続きも含めた記録が残せるような仕組みも考えてみたいと思います。

メモ:
・ほぼノープランで日記企画をやれば、案の定最後までたどり着かない!


CIY日記その2(後藤哲也の場合)

CIY開催までのプロセスを綴るCIY日記。前回はアサダさんからの参加依頼を受けてRe:Sの藤本さんとの打ち合わせまでを記録したのですが、どうやってゲストとのアポをとったのかという点が抜けてました。なので、時系列は少し前後しますが、まずはそこから。

2010年8月26日(木)
打ち合わせ@OOO
23日の講座タイトル案打ち合わせから3日、今度はゲストの人選についてアサダさんと打ち合わせ。ベースとなるゲスト案は企画の素案の時点で既にできていて、それをベースに、中之島4117という“アートインフォメーションセンター”が行う“他(多)分野連携事業”として、単にアートの周辺的なものにならないように、そして、分野の偏りがないように、ということに留意しながら、仕事についてモヤモヤ考えているであろう20代後半から30代をターゲットと想定して、調整を進めた。ゲストにつながれそうな知人をリストアップし、僕はRe:Sの竹内さん経由で藤本さん、CIYの会場構成も担当してもらった京都のデザイナー、ビアンカ経由でルーカスさんにコンタクトを取ることになった。

2010年9月1日(水)
打ち合わせ@4117
ゲストとのアポ取り進捗報告と広報についての打ち合わせ。広報物に関しては、「チラシを作って後はブログとかツイッターで」という感じで話が進んでいたのだが、自分のなかのCIY精神に火が着き「プロセスをフリーペーパーで伝えましょうよ」という、自分の首を締めまくる提案をしてしまった。忙しいアサダさんは最初ちょっと逃げ腰だったが、やはり彼もCIYの人、結局は二人で盛り上がってしまい、コニカミノルタさんに協力してもらって、部数限定のフリーペーパーを作ることになった。そのシワ寄せが年末にどっとくることなどつゆ知らず…。

2010年9月27日(月)
ゲスト交渉:森下治秀さん@某社(大阪)
森下さんは、大阪の某広告代理店にマーケッターとして勤めながら「ad-rock」という広告系ブログを運営している。“Fight For Ad's Rightを心にディグったネタをアーカイブ、現代版レコードバッグならぬ、発想をシゲキする『公開アドバッグ・ポータブル』” を標榜し、いわゆる広告広告したニオイがしないのが魅力なサイトだが、会うとやはり音楽好きな業界臭レスの方で一安心(元はDANCE MUSIC RECORDでwebデザイナーをしていたと聞いて納得)。こちらからの依頼に対しても、逆にいろいろと面白い提案をしてやろうというオーラがプンプン。大きなトークイベントに参加するのは初めてということで、ある意味CIYの隠し球。広告的なアプローチは、CIYな活動においてもとても参考になるはず。当日どんなことを仕掛けてくれるか、とても楽しみ。

2010年10月1日(金)
ゲスト交渉:ルーカス・B.B.さん(渋谷・東京)
    忽那裕樹さん(堺筋本町)
アサダさんとの待ち合わせ場所、渋谷のフレッシュネスバーガーがつぶれているというトラブルに見舞われながら、ルーカスさんの会社ニーハイメディアへ。閑静な住宅街の中に突如現れるHitotzukiによるグラフィティで彩られた日本家屋がルーカスさんの自宅兼事務所。中に入れば、緑あふれる庭と小川がさらさらと流れる音。リラックスしたムードと気取らないキャラクターのおかげで、予定時間を大幅に越えて話が盛り上がり、次のお客さんを少し待たせてまで、来日からTOKION、そして今に至るまでの面白い話をたくさん聞かせてくれた。「大きな組織が動けない時代に、CIYみたいな考え方やイベントはすごく大切」と褒めてもらえたことは、10年以上前にロンドンでTOKIONをむさぼり読んでた自分に会って伝えたいほど感慨深かった。
この日は夕方に大阪に戻り、ランドスケープデザイナーの忽那裕樹さんの事務所でゲスト交渉。正直、お写真などの印象から、少々ビビりながらの訪問。しかも移動後の打ち合わせとあり、僕ら二人とも少し疲れていたので、うまくいくかどうか少し心配だったが、CIYの話も早々に、「都市を思いっきり使い倒す」「コミュニケーションをクリエイトする/おせっかいなデザインはしたくない」「市役所を使いこなす(例:ベルギーでは結婚式などに使え、その利益を文化事業にまわしている)」「オープンガーデン=家と場所の露出狂=街を自分のものに」などなど、矢継ぎ早に繰り広げられる刺激的な話の応酬に、逆に力をもらって元気になってしまった。

以降、次号に続く。(3号では収まらないと確信…)

メモ:
○ このご時世、マップに載っていても店は突然つぶれる!見知らぬ土地での待ち合わせ場所には注意!
○ 面白がりはほどほどに。欲張って企画を全部やろうとすると自分で自分の首を絞めます。。


CIY日記(後藤哲也の場合)

西天満でオルタナティブワークスペースOOOを運営している後藤です。デザインや企画、コーディネートを中心に、働き方のこれからや、個と個のつながりを考えた活動なんかもしています。(「FLAG」というアートガイドを出していると言った方が、アートファンの方にはもしかして分かり良いのかもしれません。)
このCIY日記では、この規模のイベントには慣れていない僕が、その経緯や反省点なんかを記録します。これからCIYなイベントを計画する皆さんのちょっとした参考になれば。

2010年8月8日(日)
SJQ x 林勇気ライブ@アバンギルド(京都)
アサダワタルさんとは、残念ながら活動を休止した南森町のオルタナティブスペース「208」に、トークゲストとして呼んでもらったときに初めて知り合った。その後は(これまた活動停止した)築港ARCで一度お会いした程度で、互いにお知らせメールを送り合うぐらいの関係。そんな彼と再会するきっかけになったのは、2010年8月8日に行われた彼が所属するバンド、SJQと映像作家の林勇気さんの京都アバンギルドでのライブ。当時、林さんの名刺をデザインさせてもらっていたし、SJQのことも前から気になるし…ぐらいの感じで観に行ったのだけど、ビリビリと刺激的なライブで、林さんの映像はもちろん、特にアサダさんのドラムに圧倒され、その興奮をツイートしたことから、彼とtwitter上で再会。そしてほんの少し時間を置いて、「ぜひ協力してもらいたい企画があるので会えませんか」とのダイレクトメッセージをもらった。


2010年8月18日(水)
CIY初打ち合わせ@OOO
CIY初の打ち合わせは、ライブから10日後の8月18日。場所はOOO。最近こういう話があるときは、僕たちが出しているフリーペーパー「FLAG」への掲載依頼が多いのであまり期待しないようにしていたのだけど(もちろん掲載依頼も歓迎です!)、アサダさんから見せてもらった企画書には、CIYの骨組みとなる企画案と数人のゲスト候補の名前が。きっと食い気味に「やります」と答えていたに違いないほど自分にとってど真ん中な企画!「こういうのがわかる人はなかなかいなくて」という理由で誘ってもらえたことも非常に嬉しく、即答で参加を決めた。

2010年8月23日(月)
講座タイトル案出し@OOO
最初の仕事は、講座タイトルの案出し。いろいろと考えた挙げ句「中之島( )編集会議~越境するクリエイティビティの発掘と発信~」「“CIY - Curate It Yourself”クリエイター産直時代の情報キュレーション講座」の2案を提案し、微妙に誤解を与えかねない”クリエイター“などの単語を避けて、より“仕事”にフォーカスさせた「”CIY -- Curate It Yourself”その仕事 そのアイデア 交換講座」というタイトルに最終的に落ち着く。
CIYは、言うまでもなく、DIY(Do It Yourself)を転用してできた造語。情報の流通経路が広がり、発信のハードルが下がると同時に受信のチャンネルも膨大に増えた現在、“Do”だけでなく“Curate”を意識して仕事をすることがキモとなるという企画の主旨をキーワード化できているし、何より呼びやすいという理由で採用となった。

2010年9月15日(水)
ゲスト交渉:藤本智士さん@新阪急ホテル(梅田)
最初の打ち合わせから約一ヶ月後の9月15日、初のゲスト交渉。相手はRe:Sの藤本智士さん。「The Bag Magazine」から「Park」、そして「Re:S」に至るまで、ずっと活動を追いかけた人との緊張の初対面は、藤本さんの人懐っこい笑顔ですぐに和らいだ。おもむろに取り出した嵐山Bruceの筆箱の話をきっかけに、ものづくりや世の中のことなど、どんどん話が展開し、グイグイと人を引っ張るその魅力ある話し振りは、打ち合わせの時点で既にトークショーのよう。特に印象に残ったのは「自分の真ん中におりていく。真ん中を見つめ直す。自分の言いたいことを編集で普遍化していく」という、ある種、編集者のイメージを裏切る作家的な言葉。同時に、まさにCIYな発言で、この人にゲストをお願いして間違いなかった、と強く確信した瞬間だった。

以降、次号に続く。(3号で収まるかな…)

メモ:
○水曜日の阪急梅田駅周辺の喫茶店は、ほとんどがお休み。打ち合わせの場合は要注意!
○記録はとっておいて無駄なし(打ち合わせ含む)。写真を撮っていなかったことを後悔すること数知れず…
○ゲスト交渉は早めに。チラシひとつでも、関係者が多いほど確認に時間がかかります。(この点はCIYはスムーズだったと思います。4ヶ月前には、ゲストはほぼ確定していました。)

C.I.Yを始めるにあたってのそもそも論 #1(アサダワタルの場合)

初めて会う人に「なんのお仕事されているのですか?」とか「ご職業は?」と聞かれることがある。世間一般的によく交わされるこの会話。でも僕はこの質問に対してどう返そうかといつも結構悩む。まずもって「仕事」と聞かれるのと「職業」と聞かれるので答え方が全然変わってくる。僕の場合の悩みの核は、仕事は答えられるけど職業は答えられないということ。音楽や美術に関わる過程で得たアイデアやクリエイティビティを、特定の都市や特定の分野の活動の中に、ぽーんっと投げ込むことで、日常生活をもっと面白く再認識するためにあらゆる表現手段を尽くして動く。これが自分にとっての仕事なのだが、おそらく世間一般にわかるような職業としてそれを説明しようとなると、その前述した表現手段のことを説明しないといけなくなる。それが場合によっては「アーティスト」という職業/肩書きであったり、「クリエイティブディレクター」であったり、「なんちゃらコーディネーター」であったり。まるでカメレオンの様に、その時々の現場に相応しい職業/肩書きが周囲によって決定されていく。そしてどうやら世間一般的には、先にその人の職業を出会いの入り口として捉えて、そこから深く付き合うことになれば仕事という領域に関わる、という順番らしい。

僕はずっと上述したようなことを不思議に感じてきた。不思議というライトな感覚というよりはむしろ困ったなっていうのが正直な感覚。
じゃあ仕事を達成するために、表現手段である職業をやたらと色々抱えている人間は、どうやったら自分の仕事の全体像を人に伝えることができるのか。そういったことを考え続けて数年。ちょっとわかってきたことがある。まず第一に、世の中にはこういった働き方をしている人間が一定層存在するということ。そして第二に、そういった人間はなぜかどこかで人脈が繋がっていたりすること。そして第三に、そういった人間の多くは自分の複雑化した仕事を社会に上手く発信するために、何かしらのアウトプットを拵えていること。次号以降は、この三つ目について、具体例を交えながら言及していきたい。今回このフリーペーパーを含めた「C.I.Y」というプロジェクトに直接関わってくるとことなので。

C.I.Y 制作エピソード #1

まず「C.I.Y その仕事 そのアイデア 交換講座」の目的は、とにかく領域を超えた仕事をする人たちをゲストに招き、そのアイデアとクリエイティビティを交換しあい、参加者が自らの仕事や活動にそれを使い直す といったこと。一文がくどくど長くなったが、そういうことを実現しようと思ったら、僕が興味を持っている活動分野のゲストだけを招くのは、ちょっと知見が狭くなるなと思ったのだ。そこでもう一人、ディレクターが必要だと思い、西天満でお仕事するoooの後藤哲也さんに「一緒にお仕事しませんか?」ってお声かけした。なんせ後藤さんのプロフィールには「“働き方のこれから”について考え、個と個をつなぐ場と機会づくりを行う」などと書かれているではないか。しかも彼は、外国人との異文化交流という視点も持ち合わせているので(ここは僕にとって不案内な分野)ゲスト層のバリエーションが広がるなと思い、ただいま共同ディレクション中。

まず僕ら二人が最初に会いに行ったゲストは、Re:Sの藤本智士さん。東京と大阪を行き来する彼の空いた時間を狙って、梅田の新阪急ホテルの喫茶店にて。ちょうど彼が編集を手がけた「ニッポンの嵐」という書籍が各地で話題になっていた時。お忙しい時間を縫ってお越しいただきまずは本当にありがたかった。僕が嬉しかったのは会った瞬間に藤本さんが「アサダくん!やっと会えたね!」と言ってくれたこと。こっちの活動をずっと陰ながら見ていてくれてたというだけで、どれほど救われるか。彼は京都で購入したとっても素敵な手づくりの筆箱を見せてくれながら、今回の企画趣旨を瞬時に理解してくれた。藤本さんとの会話の中で最も印象に残ったこと、それは、彼が編集という手段を徹底的に自分の表現として捉えて次から次へと新しい仕事のフェーズへと向かっていること。「編集」という行為は、一般的には「主観的な個人の表現」というよりは、「客観的でフラットな作業」というような印象をもたれやすい。しかし彼が生み出したメディアに触れれば、彼が編集に対して独自の思想を持って接していることがありありとわかる。元々小説家を目指していたという事実もすごくすんなり受け入れられる。まず是非、雑誌「Re:S」を読んでほしい。(現在は休刊中だけどamazonとかで手に入るし、中之島4117でも読めますよ)そして僕はいま、藤本さんのことを考えながら、ちょうどtwitterで「アルバムエキスポ」という藤本さんが梅田のHEPHALLで手がけているイベントの情報が飛び込んできた。いいシンクロニシティ。来週、行ってみようっと。



C.I.Yを始めるにあたってのそもそも論 #2 (アサダワタルの場合)

本日の大阪は最低気温-2℃。体に堪えます…。さて前号(マイナス3号)にてC.I.Yな人の特徴として、「自分の複雑化した仕事を社会に上手く発信するために、何かしらの媒体を拵えていること」と記した。2/26-27の「C.I.Y」で紹介する方はまさしくそういう方々だ。なんらかの分野(建築だったり広告だったり)に軸足を置きながら、その専門性を起点に360°回転してみる。それは必ずしも同心円上ではなく、様々な回転軌道、回転速度を伴う。そこに彼ら彼女たち独自の、世界との実践的な関わり方が存在する。ではその世界観に他人がアクセスできるのであれば、それはどういった媒体によってか?ある人は書籍、ある人はウェブサイト、またある人はリアルなスペースを作るといったように。

重要なのは、その媒体の種類がなんであれ、そこには異なる背景をもつコミュニティ同士を積極的に接続する機能が備わっていること。そして仕事とプライベートといった枠組みを取っ払い、日常に散らばっているあらゆる出来事にアクセスできる感覚を植え付ける機能も併せ持っていること。

この2つの機能のことをこうやって言語化すると、書いているペン先(実際にはキーボードなんだけど)から「胡散臭さ」が漂って来て、なんだか気後れしてくるのだが、個人的な感覚からすると、この機能がないと自分自身はもはやポジティブに生きていけない身体になってしまった。

あっ、急にしごく個人的なことを書きたい気分になってきたので、ここからは文体もよりラフに崩しがちに書かせていただきまっす。(でも中之島4117が発行しているペーパーなので程々なノリにしておきます)最近「コミュニティ難民」(「難民コミュニティ」ではないですよ…)って言葉を勝手に意識してまして。wikipediaっぽく勝手ながら定義すると…。
(後藤さん>ここはちょっと強調的にデザインしてもらえますか?)

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「コミュニティ難民」
(英: community refugee ← (文法的にあってんのか?))
コミュニティ難民とは、個人の生産活動において、ある特定の分野における共同体(community)に重点的に属していない、もしくは複数の共同体に分散的に属している状態が長引くことにより、自分の生産活動の分野を特定することが困難となり、どのコミュニティに居てもそれなりの親密感を感じながらも同時に疎外感も拭いきれず、そのことにより活動初期はアイデンティティの揺らぎを元にした多少の精神疾患を伴うこともあるが、徐々にその独特な浮遊感の心地よさに気づいてしまうことで逆に開き直り、積極的に活動分野を拡散させていくことで新たな社会との実践的な関わりを生み出すことへと意識的に向っていく人々を指す。
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ああ…、とんでもなく長い一文を書いてしまって、wikipediaというよりは川上未映子のような文体になってしまいそうな勢いでしたが、なんとなくこういうことでしょうか?別に今回の「C.I.Y」のゲストの方々がこれにあてはまると言っているわけではなく、この「終わっている」とか「無縁社会」とか言われている現在の日本で、こういう存在が暗躍する機会が結構増えてくるのではないかと思っているのですが、読者の皆さんいかがでしょうか?

うわ…、これ3号分の日記で収まらんなぁ。って確か後藤さんも前号で言ってましたね…。





C.I.Yを始めるにあたってのそもそも論のそもそも論(アサダワタルの場合)

「コミュニティを越境してお互いを“伝え繋ぐ”こと」

皆さん、こんにちは。「C.I.Y」本番3日前の2011年2月23日です。幾ばくかの焦りと高揚感を楽しみつつ進めています。
先達て2月19日に、この「C.I.Y」を主催する「中之島4117」の講座にて講師を務めさせていただきました。テーマは「編集最前線!?―住み開きとC.I.Y―」。僕が2年程前からほざき出した概念「住み開き」(自宅を代表とするプライベートな空間の一部を、人が集えるパブリックな空間へと無理なく開放すること )について。そして後藤さんと僕がまさに現在、こんな風に進めている「C.I.Y」のこと。この2つを、「編集」という視点で考えながら、どうやって日常生活での行動へと導線を引くか、みたいな話をしたのです。なぜ「編集」かと言うと、僕自身の活動コンセプトが「日常再編集」(目の前にある日常風景・状況を表現へと編集しなおすこと)であるから。「住み開き」は私/公の関係性を編みなおす作業だと思っているし、「C.I.Y」は自分野・自領域を編みなおす作業だと思っています。参加者20数名のうち、半数以上がC.I.Y参加予定者ということもあり、皆さん、大変熱心にこのお話を聞いてくださりました。ご自分の生活、仕事に引き寄せて。

ここからはさらに個人的なことを書かせていただきます。そもそもこの誌面はそういうコーナーだし、いいよね…。ですます調もやめます。
そもそも「日常再編集」という言葉を提唱し始めたのも、20代前半時期に、表現活動と生計仕事に関わるコミュニティの属性の差に、自分自身のアイデンティティを合わせていかざるを得ないところから、表現と生活を一致させるためのスローガンが必要だったから。ここ数年、多くの表現者が生計仕事との狭間で、フリーな感性と雇用されている社会的属性との狭間で、踏ん張っている事実を体現してきた。そして、このことは別にとりわけ自分を表現者と規定していない様々な分野の人たちの中でも、個としてのアイデンティティと、特定の社会集団の一員としてのアイデンティティに引き裂かれそうになっている事例も見てきたように思える。(もちろんそこんとこを超割り切って気持ち良く生きている器用な人も沢山存在すると思う)
僕自身、少なくとも20代前半期は、音楽活動と印刷出版社勤務のふたつのコミュニティを行き来し、いくつかの象徴的(!?)なコミュニティ分断の事例に立ち会った。事例って言う程、大したもんではないけど、まず、ギターを堂々と会社に持って行けないこと。ライブがある日は、会社に朝なるたけ早くに出勤して人目につかないようにそぉーっと自分のロッカーにギターを押し込む。ここの社長がまずもって、僕が音楽活動をしていることを良く思ってなかったから。(面接ん時に一応「音楽活動もちゃんと続けたい」ってこと伝えた上で採用されたにも関わらず、あとあと嫌味を言われるようになったり…)そして最も逆に爆笑してしまった事例は、スネアドラムをロッカーの横に置いていたらゴミと間違えられて粗大ゴミコーナーに捨てられてしまったこと。これにはさすがに焦った。大体中身空けたら置いた犯人は僕だってことくらい判るだろうに、ひょっとして虐められてたのかしら…。(そこは幸運にも鈍感ですから気づいてないかも…)というわけで、ほとんど会社では自分の音楽活動の話なんてできなかったし、唯一、まだ救われたのは派遣社員さんの存在で、4人の女性がいたんだけど、うち1人の子 Kちゃんは僕のことをどうも面白がって感じてたらしく、他の3人の女性にも「あの変な髪型してる男の子、なんか色々やってそうで面白いで」みたいな感じで、少し昼休みなどが楽しくなった。彼女たちとは、仕事の話もお互いの趣味やプライベートな活動の話もできたので、僕のライブに来てくれたり、そして僕がその最初に仲良くなった女の子の活動(仕事休みの日に富田林で手芸教室の先生をやっていた)のビーズ手芸の作品を見せてもらったり。そこでお互いが持っているコミュニティも交換しあうことが出来たから、僕がこのあと、ここの会社を辞めて大阪のアート系NPO「cocoroom」のスタッフになった時も、たまにKちゃんにもカフェスタッフとして手伝ってもらったりした。結局その派遣女子4人組が、僕にとって唯一の会社で安心して自然体で話せる人たちだったんだけど、彼女たちの契約が切れてみんな会社を離れてしまった。その後は、まぁまた元通りの居心地の悪い状態だ。まずもって契約フレックス社員という正社員ではなく完全にアルバイトってわけでもないという雇用状態のマイノリティさと、あと僕の部署はDTP課という部署で、僕の上司にあたる方々は全員当時35歳くらいの女性たち。しかもその3人の結束力はとても強く仲が良い。そんな中で10歳年下のちょっと個性のきつそうな男の子が一人入ってきて、しかもそんなにDTPの経験もないし、教えなあかんしってな感じで、さぞかしこの方々も僕のことを扱いにくかったであろう。結局、最後まであまりこの部署に打ち解けることはできず、また一年たった時に社長に「音楽活動をほどほどにして正社員になるか辞めるかそろそろ選択しろ」って言われて、辞める覚悟をした。まぁ多分、こんな話はよくある話だろうけど、僕にとっては、自分の個人の活動をほんの少しでも…、そう。お互いがお互いのプライベートなコミュニティの話をちょっとだけでも共有しながら会社にいられる環境があれば、だいぶ仕事が楽やったろうなぁと思う。それが出来ない環境だったから、自分でそういった環境を得られる、究極的にはひとつの人格で望める仕事を自分から作らないといけないと思い、会社を辞めた。

あれから数年が経過し、働き方関係の講座、社会起業系の講座や、美大生向けの大学講義などで講師として呼ばれることが多くなって、よく当時のことを振り返りつつ話すことがある。やはりどんな仕事に就くにしても、あらゆる分野やコミュニティを越境して、お互いを“伝え繋ぐ”ことができれば、結構、人が人として、気持ちよく生きられる根本的な解決になると思っている。まさに3日後に迫る「C.I.Y」では、「C.I.Y」な人生を送るゲストの方々と皆さんとの橋渡し的な役割をできるだけ積極的に買いたいと思う。皆さんの1日24時間のあらゆる活動を再編集して、新たな日常表現を獲得する導線をなるべく引く事ができればと思う。本当に微力で頼りない仕切り人ではありますが、どうぞ皆さん「C.I.Y」存分に楽しんでください。

おおすぎあきひろさんの場合


昨年2月に行われた第1回C.I.Y.11月のC.I.Y.と「メディア作成集中講座」に参加した。その間に僕は36歳になって、勤めていた広告代理店を辞めフリーランスになった。今は、「写真と、企み」という名前で、広告制作や写真撮影、ときどき活版印刷をしている。


PAPER SKY』や『PLANTED』などを手がけるクリエイティブディレクターで編集者のルーカス・B.B.目当てでC.I.Y.に参加。(ちなみに、『PLANTED』の創刊号から3号連続で読者プレゼントに当選した)。その等身大で、ルーカスの感覚や気持ちを素直に形にするスタイルがとても魅力的だった。また、雑誌・ウェブ・イベント(アプライドメディア)という、各メディアの特性を活かし相互に補完しながらメッセージを広く伝えていく方法は、大いに参考になった。

ルーカス・B.B.さん(撮影:久保木裕子)














僕自身も過去に、大人の部活動と称して友人たちと写真部を結成。みんなでぞろぞろ町を歩きながら撮影。夜には写真を肴に酒を飲むという活動を行っていた。同じ被写体でも人によって切り取り方がさまざまで、自分では気づかなかった町の魅力を知ることができた。さらに縁あって写真展という形で、これらの活動を発表する機会を得たものの、僕自身の多忙と重なり、今は休部中となっている。


C.I.Y.に参加して、何かが大きく動いたということはまだない。ただ、キュレイションは、これまで仕事でしてきた編集や広告と同じで、モノに価値を与えたり、潜在的な魅力を気づかせたりする技法だと思う。個人的に今、失いかけている町場の写真館の役割に興味がある。大げさなメッセージではなく、自分の内から出てくる言葉を大切に、あらためて動き始めようと思ってる。

2012年3月11日日曜日

松村倫也さんの場合


1C.I.Y. 講座に参加した動機・理由

iTohenのトイレで告知ポスターを見てC.I.Y.を知り、まずゲストに惹かれたことが参加したキッカケであることは明確に覚えています。特に、ティーンの頃影響を受けたTokionの発起人ルーカス・BBさんが、次々とメディアを作り出した経緯、なぜ日本をベースにしようと決意したのか、ということをじっくり聞いてみたいと思いました。
他のゲストの方々も、一つの専門性を持っていることはもちろん、枝葉のように様々なプロジェクトを手掛けていることもあり、そのヒントを掴みたかったことも理由の一つです。私自身、前年に編集者後藤繁雄さんが主催するSUPER SCHOOLを受講していたこともあり、「編集」というテーマをより多角的に探りたいという時期でもありました。

ルーカス・B.Bさん(撮影:久保木裕子)














2)参加しての感想(印象的だったゲスト、言葉、等)

前半はゲストの紹介・トーク、後半は参加者のポストイットを読み上げて場作りを行い、比重を半々にしたことで、一つの空間に皆の意識が収斂されていた。イベントによくある主客の分離はなかったように感じました。ゲストとファシリテーターと参加者を共通の意識がある集まりとして、密にコミュニケートできる土台を作り上げていた事は微笑ましい光景でした。私は2回とも参加して、どのゲストとも込み入った話をすることができ、中には、C.I.Y.後にご飯を行ったり、事務所を訪問したりと、新たなつながりが生まれ、つくづく参加してよかったと実感しております。
アサダさんと後藤さんが、ファシリテーターというより、インタビューアーのようにゲストの発言をつむいで聞き出していたので、手元のメモには、普段から抱えておきたい言葉たちが散りばめられることになりました。
「一国の首相を変えるより、一家のみそ汁の味を変える方がむずかしい。」(藤本智士)」
「メディアを持っていることは、会いたい人に会いに行ける最短距離。」(馬場正尊)
「形にしてしまうことで、自分を次のステージに進ませる。」(馬場正尊)
「やるっきゃないんだよ!」(橘ジュン)
「流行りを追うのではなく、自分が感じたことを伝えたい。」(ルーカス・BB
「散歩したり、人と出会ったり、そうやって生きてきた。」(ルーカス・BB
「狭く濃いアプローチをしないと、広く届かない。」(アドロック)
「公私混同しまくればいい。自分たちでできることは何でもする。」(忽那裕樹)
「誰かに会うことほどのエンターテイメントはない。」(米田智彦)
「業界のことは、業界で決めている。それはちがうんじゃないか。」(松下弓月)
「人の考えや心を変えることはできないが、行動は変えることができる。」(山口悦子)
「フリーペーパーを通して、倉敷という街に愛着を持てるようになった。」(赤星豊)
「異化効果。日常見慣れたものを違う視点で見せる。」(茶谷恒治)
「向こうから声を掛けられるようになること。それが最大の営業。」(藤原明)
「信頼できる人は、人の悩みを解決してくれる。すると、相手がこちらを向いてくれる。」(藤原明)
自分を整理させることでもあり、参加している方も改めて思い返すことのできる言葉だと思い、挙げさせていただきました。一人一人にストーリーがあった上で想いが発せられているだけに、その人自身を形作っている言葉のようにも思えます。そして、自分の言葉で語ることができた時、自ずと領域を横断して、自分が何者なのかわからなくなるような感覚を味わう時が来るのではないでしょうか。その頃には、C.I.Y.な人になっているんでしょうね。ミライの自分を想い描くのがとても楽しみです。


3)参加後の自分の変化(今後どうしていきたいか、現在、具体的にやっていること、等)

C.I.Y.を通じて、仕事以外でのコミュニティがさらに増えたことが大きな収穫です。その中でも、C.I.Y.に参加していた人同士で、「ビブリオバトル」という書評イベントの一員となり、現在でも奈良県立図書情報館で定期開催しているのは特筆すべきことです。誰に言われるまでもなく、フリーペーパーを作ったり、コラボイベントになったり、メディアに取り上げられたり(私も一度、新聞に掲載されました)と、まさしくC.I.Y.な動きになっています。本が好きなのは前提としてあるのですが、このコミュニティが今度、どういった形態になっていくのかが、楽しみなところであります。C.I.Y.のゲストの方を呼んで、イベントを開催できれば、C.I.Y.への恩返しになるのではと思い、企画を練っている最中です。
普段は広告業界で働いており、その方面での新しい出会いや、プライベートのカルチャー界隈での活動でもリンクする人とのつながりが生まれています。一所不在ではあるが、それぞれの場所には共感する波長が流れている。そういったつながりから、これからもコトづくりをしていきたいです。