2012年4月10日火曜日

市居利絵さんの場合

C.I.Y.とわたし

1)C.I.Y.講座に参加した動機・理由

会社員、舞台俳優、アロマセラピスト、フェイシャルリフレクソロジスト、任意団体代表、団体職員、西洋占星術師etc.。今まで(そして今も)、様々な 肩書をいくつも同時に持ってきた私。ココロ・カラダ・感覚(体感)という、自分自身の興味・関心に素直に従ってきた結果なので、自分の中では何ら違和感は ない。しかし「あなたは何をしている人ですか?」と問われた時に、相手や場面に応じて、私自身が異なる返答をしていることに気付き、そのことに次第に違和 感を覚えるようになっていった。「すべてがあって、私があるのに…」。そこで、領域を越えて多様な活動をしている他の人々は、自らを、どのように他に伝え ているのか関心を持つようになった。C.I.Y.に参加したのは、その実際の例を知りたいと思ったからである。


2)参加しての感想

ゲストのお話は、どれも興味深かった。「何でもあり」「やったもん勝ち」の世界。世界は自由に開かれていて、制限をかけているのは、むしろ多くは自分の側であることに、改めて気付かされ、愕然とした。



3)参加後の自分の変化
参加後、私が大きく変わったと思えるのは、物事にかかわる際に“自分ごと”として捉える割合が多くなったこと、つまり、自分は自分でこの道を選んで行き、そして、そこで起こったことは自分で引き受けるという“覚悟”を持つことができるようになったことである。
C.I.Y.で、そんな“覚悟”を持った多くの人たちと出会い、そのような人たちが出会うと、人と人との“化学反応”が速く、強く起きることを目の当た りにすることができたことで、年齢・性別・職業にかかわらず、C.I.Y.な人々が増殖していけば世界の未来は明るいと、勝手ながら清々しい心持になって いる。以上

2012年4月2日月曜日

CIYドキュメントWeb 編集チーム

編集:アサダワタル、有馬美樹、市居利絵、おおすぎあきひろ、後藤哲也、サトウアヤコ

執筆:アサダワタル、有馬美樹、市川貴啓、上田雅人、おおすぎあきひろ、大橋弘宜、後藤哲也、サトウアヤコ、林亜衣子、松村倫也
 
サイト構築:サトウアヤコ

2012年3月19日月曜日

サトウアヤコさんの場合


やりたいこと or ?
CIYの会場で会ったひとたちに、
自分のやりたいことをやっていきたいか、人からおもしろい依頼が欲しいか聞いてみた。
やりたいこと!な人
やりたいことのために、今は頼まれたいという人。
頼まれることこそがおもしろいという人、とそれぞれ。

私も頼まれたい方だとその時は言っていたけれど、その後少し考え方が変わってきた。
今は関心のあるテーマやプロジェクトに、コミットしたいと思っている。

会場の外(CIY)でした話の中で、
「やりたいことをやってきたから今の形になった」というよりは、「やりたくないことをやらないで済むようにしたら今の形になった」というケースが多いかもしれないという話を聞いた。
多くの人は、やりたいことをやっているように(外からは)見えるけれど、実際はそうでないかもしれないと思えたのはとてもよかった。


減らす
CIY2の1日目、米田智彦さんの話で、「クリエイティブ・シュリンク」という言葉が印象に残った。
減らすことや縮小すること。
増やしたり広げたりすることばかりではなくて、「これは現状維持する」「これは減らす」ということを選択していければ。

米田智彦さん(撮影:久保木裕子)


 











CIY
CIYという概念は「発信する」というところがしっくりこなかった。必要なのだろうか?と思っていた。
ただ、大学は建築で入学し卒業時は情報工学、今はwebの仕事をしているという自分の場合、「建築」「情報工学」「デザイン」「写真」などの間の境界領域にいてどこにも入ってないと感じる。

1回目のCIYに参加した時は、「フリペ作りたい」となんだか煽られる気持ちになって帰ったのだけれど、そういうことではなくて、
「私はこのように仕事をする」と決めることで、自分のいる境界領域をカオスのままにしないということは大事だな、とCIYが終わって話をしていく中で思うようになっている。


2012年3月17日土曜日

有馬美樹さんの場合

<CIYと私の場合>

キュレーション◆人力で情報を収集、整理、要約、公開(共有)すること。

私の場合、

自分の本当に好きな仕事をやろうと思ったとき、
それは「なんか動かなきゃ、もう人に使われるのはもうまっぴらだ!」と感じたとき。
既存のやり方、働き方ではいつまでも自分自身が楽にならないなぁと思った。

なんか“ちょっとしたこと”でも自分の得意なこと好きなことをみつけ、まじめにやって、、
何らかの形でそれを今まで私の知らなかった人、関わりのあまりなかった“新しい人たち”に発信する。
その反応を見ながら、つながりをすこしづつ丁寧につないでいくしかないだろうと。

今まで特に専門分野に特化しないで好きなことを適当にやってきたので、
なにか切り口(突破口)はみつけて、それからどんどん派生して仕事を作っていく。つながりをもっていきたい。

たぶん私は文章を書いたり、物を作っていくのが好きなので、
そのようなものを媒体にして、苦手な人間関係構築も克服?(できないかも)

CIYと私の関係は、怠け者(すぐつながりをつくることをサボる、情報発信をするのをサボる)の私のよき、交流の場、表現の場、鍛錬の場であり、
同じような感性の人たち(何かはじめようとしている人たち)のプラットフォームではないかと思う。



<CIYでどんなゲストに一番心魅かれたか?>
りそな総研の藤原 明さんはCIY講座前から知っており、
藤原さんのやっておられることや、理念などに魅了されての仕事に入ったので、その他で心惹かれた方を特に上げるとすると、
赤星 豊さん。
東京でバリバリ最先端のことをやっていたのに、親の介護のために故郷に帰られて地方に拠点を移しながらも
仕事のレベルを落とさず、発信の方法だけ変えて、小さな地方都市から世界に向けて最先端のものを発信する。
なんか、飄々としたお方であったが、かっこつけないで正直に自分のやりたいことをやっているむちゃくちゃ魅力的な人だと思う。
今お住まいの岡山県の児島市もぜひ行って見たいと思った。

赤星豊さん(撮影:直江竜也)














その他にも、ルーカスB.B.さんも、仕事の内容も“言わずもがな”ですばらしいが、パーソナリティが誰でも受け入れるような魅力的な暖かさを持ちとても印象に残ってる。
電書の米光一成さんも、ノマドの米田智彦さんもそれぞれみんなとても魅力的、私を触発させた方々です。

<CIYで出会いは生まれたか?>
もちろん生まれたし、自分から積極的に小さい縁かもしれないけどつないでいきたい。
CIYでFacebookもはじめてやったし(まだまだ活用は不十分だが)、いろんな媒体をもとに、
1つの細胞が分裂してどんどん増えていくような活動をCIYを通じてやっていきたいと思っている。

2012年3月15日木曜日

市川貴啓さんの場合

知人の展覧会に行った時に、週末にこういうイベントがあるとチラシを渡されて、初めてCIYについて知りました。僕は、誘われたらとりあえず行ってみるという、良く言えば好奇心の強い、悪く言えば流されやすい性格なので、CIYのイベントにも行ってみる事にしました。

さきほど述べさせていただいた性格なので、色々なアーティストやクリエイターのイベントに行き刺激を受けてきたのですが、CIYはいつも違った刺激を受 けました。それは、クリエイティブの仕方もそうですが、仕事自体に対する考え方に新しい価値観が見出すことができたことです。特にトークゲストのりそな銀行に勤める藤原さんは、出会った事のないような人でした。

僕は、今大学3回生で就活真っ只中で銀行の人達のお話を聞く機会があるのですが、藤原さんは銀行の中でも異端と思える存在でした。彼は、銀行という真面目 で遊びよりも安定といった場で、クリエイティブをしていった話をしてくれました。音楽フェスと提携したり、りそな銀行でイベントを開いたり(中でそういっ た事は行なうといった事は無かったらしい)彼の、組織に属しながらその中から面白い事をどうやってしていくのかという話は、こういった人もいるんだという 発見でした。

藤原明さん(撮影:直江竜也)














僕の頭では(僕だけでなく多くの人もだと思うが)、映像なら映像業界、広告なら広告業界といった風に、専門的な技術を身に付けてクリエイティブをするとい うもんだと思っていました。ただCIYのジャンルを横断するといった考え方は、僕に「他の業種もみてみるか」という気持ちにさせられました。自分のやりたい事は、自分のやりたい環境に行けば出来るのではなく、自分から作り出していく。

ひどくベタ褒めをしてしまいましたが、ハッキリ言っていわゆる就職活動よりも就活ができたなと思っています。今は、映像業界一本で絞ってた所を白紙に戻して、また悩んでいるところです。

2012年3月12日月曜日

アサダワタルの場合

2012年を迎えましたね。皆さん、いかがお過ごしでしょうか?
先達てとある企画で「いろいろ“かせぐ(稼ぐ)”」というテーマのトークをしました。
人はお金だけじゃない色々な価値を稼いでいる、そのことに意識的になることで生き方・働き方が変わるのでは? こんなことを参加者と語り合いつつ、僕自身のこれまでの仕事の変遷を紹介したのですが、まずもってこの「稼ぐ」という言葉の語源が気になったので調べてみたのです。

ー 稼ぐという言葉は、元々、お金などを得ることが主ではなく、仕事に励むことを表した ー
(中略)
ー 紡いだ糸を巻き取る道具の「かせ」に由来する説がある。紡いだ糸をかせに巻くことを「かせぐ」という。そして、かせは休みなく動いているように見えることから、かせのように仕事に励むことを「かせぐ」といったものを考える。また、稼ぐの「かせ」は「かせ(日迫)」の意味で、昼夜に迫り、止まる所を知らないことをいったとする説もある ー
(ホームページ「語源由来辞典」より引用)

まず興味深いのは、「元々、お金などを得ることが主ではなく」ということ。そして「昼夜に迫り、止まる所を知らない」といった、とにかく動き続けていることを指すのも面白いと思いました。前者に関して言えば、まさに僕が語りたかったことを裏付けるかのような意味ですが、後者まで含めて考えると、より一層「CIY」のゲストの人たちが語って来た「動き続ける方法」みたいなことを思い起こさせてくれます。

僕自身の実感として、また「CIY」のゲストの方々から感じたこの「動き続けること」を可能してくれる源泉は、ずばり「関係性」だと思います。それは巷で頻繁に語られる絆とか繋がりみたいなイメージではなく、「出来事を融合をさせ、関係づけること」を武器にして生きていくことを指します。「CIY」ではとりわけ仕事における「分野」という考え方をどのように語っていくか、このことに焦点をあててきました。「分野」は、近代科学が発達する過程において、人間の活動における領域を細かく区分けしていくことで、専門的に発展した知識や知恵を量産するために形成されてきたと考えられます。そのことを善し悪しで語るつもりはないですし、もちろん僕自身十二分に「分野」における恩恵も受けているという自覚もあります。しかし、ひたすら領域を区分けしていくというそのベクトルに対して、ちょっと逆らってみたいという反動が僅かながらも生まれて来ていると思うのです。切り分けることによる知の構築から、関係づけることによる知の構築へ。しかしそれだけでは、まだ「動き続けること」が可能になる「関係性」には満ちず、そこで必要なのは「自分ごと」が「社会ごと」として要請されるイメージを持ち続けることだと考えます。区分けをなくし、様々な人や出来事と関係していく中で生まれる重層的な絡まり方は、仕事を始めた時の個別化された動機による一本の糸(意図)を複雑に縺れさせ、決して解けることのない数々の結び目を生み出します。この時、「動き続けること」は、外からの要請として成り立ち、同時に自分が動くことが、社会に直接手を突っ込んで触れられるという感覚を生み、そして、その感覚がより一層の「動き続けること」の動機となっていくのです。

最後に、この個別化された糸が幾重にも編みなされていく変遷を語る、最も有効な手段として、僕は「芸術的思考」を使うことを掲げます。なぜなら芸術家が芸術作品を作るプロセスそのものが、個と社会の間に隔たる道を高速で行き来する思考そのものだからです。「芸術的思考」獲得というレッスンを経て生まれた「CIY」的な人々が多数「稼ぎ」続けながら、そのことで芸術家もまた芸術という「分野」に閉じない新たな「関係性」を模索する。こういったサイクルをこれからも生み出してゆくことを目指したいと思います。

CIY日記その3(後藤哲也の場合)

2月23日(水)午前3時。CIY開催まであと3日というタイミングで書くCIY日記。過去を振り返る前にイベント当日のための準備をしたいというところが本音ですが、フリーパーパーをやろうと言い出したのは自分。なんとか、気持ちの時間を少し巻き戻して、2010年10月からのCIYのプロセスを記録します。

2010年10月5日(火)
ゲスト交渉:馬場正尊さん@Open A
この日はアサダさんと新幹線で2時間半みっちり打ち合わせ。考えてみると、この時初めてしっかりいろいろと、CIY以外の話もできたような気がする。(ちなみにおねえさんとは同じ大学だと判明。)やっていることや、やりたいことを、しっかりと言葉にできることにいつも感心する。
馬場さんのオフィスOpen Aは新日本橋にある、まさに”R”なオフィス。馬場さんのCIYなメディア『A』は、ArchitectureやArt、Anonymous、Anythingなどを表す頭文字。”A”や”R”などの文字に意味を集約化させ、アイコン化するというやり方には、CIYも少なからず影響を受けているかもしれない。『A』を何故スタートさせたかと聞くと、「どこかに向かって走らないと自家中毒に陥りそうだった」との答え。そして、始めたことによって「確信のないときに、メディアをつくることで自分の立ち位置を見つける」ということができたという。メディアをアウトプットとしてだけではなく、自身の活動のプロセスとして、再度自身の活動に還元させていくというのは、CIYな人たちの共通項かもしれない。馬場さんとの打ち合わせは、ゲスト交渉の中で一番短かったが、内容は濃密でいろいろとヒントになるところも多かった。

2010年10月14日(木)
会場見学@大阪市役所
会場に関しては中之島の中央公会堂も候補に上がっていたが、いろいろな条件等を検討し、大阪市役所の玄関ロビーを使わせてもらうことになった。いかに“役所”の使い方にアイデアを加えられるかということは、とても面白いチャレンジで良い場所だと考えた。会場構成に関しては、僕の友人の京都在住のドイツ人デザイナー、ビアンカ・ボイテルに頼むことになった。

2010年11月12日(金)
打ち合わせ@梅田UCCコーヒー
私的なことだが、娘が産まれてから初の打ち合わせ。この辺りから生活と仕事のペースがまったく掴めなくなってくる。この時の打ち合わせは、1時間以上の大遅刻。女性だけでなく、男性も子どもが生まれるといろいろと体質が変わるのか?
この日の打ち合わせは主にチラシの打ち合わせと、今後の進め方について。ちなみに、この時点のチラシラフは、スクリプト書体を多用したちょっと可愛らしい感じだった。

2010年12月14日(火)
ゲスト交渉:橘ジュンさん@カフェメルト(東京・渋谷)
最後のゲスト交渉は、援助交際やリストカットなど生きづらさをを抱える少女たちの声を『VOICES MAGAZINE』というフリーペーパーを通じて届ける活動をしている橘ジュンさん。自分の表現や自分の活動を発信するのではなく、社会問題を追いかけ、フリーペーパーというメディアを自ら作って伝えるという2つの大変な仕事を継続的にこなすことは、すごく大変なことではないのか、なぜそれが続けられるのかと思っていたが、本人にお会いするとすぐにその思いは吹き飛んだ。橘さんは、とてもエネルギーに溢れ、思ったことはまず実行する人なのだ。理屈や枠組みを作ることから始めるのではなく、まず実行。そのプロセスの中で必要な道具を取捨選択していく。想いにドライブされ、壁にぶつかってからそれを乗り越える方法を考えるというのも、愛のあるCIYのあり方だなあと考えさせられた。

2010年12月15日(水)
チラシ入稿。最終的に、目次的なデザインにして、本番に参加者みんなでコンテンツを作り上げていくという意味合いを込めた。また、ゲストは印刷物をメディアとする方がほとんどなので、CIYにかけたCMYの三色とスタンダードなホワイトの紙をKに見立てた4色のチラシを作成。チラシを持った参加者が集まることで、色が混ざり、また新たなCIYな活動が生まれていく期待も込めた。

2010年12月27日(水)
フクドクペーパーvol.-3出力@コニカミノルタ
自ら言い出したフリーペーパーを、勢いだけで作成。この時期は僕らOOOで発行するFLAGの入稿やその他もろもろの仕事が重なりまくり、仕事納めまでフリーペーパーの作業をという、自分の首をしめまくった年末。年内発行の予定だけは、なんとか死守した。フリーペーパーの発行は、コニカミノルタの協賛でショールームの機械を使わせてもらっているのだが、折りもホッチキス留めも全部自動でやってくれて、本当に待つだけで良いという至れり尽くせりな条件。

2011年1月12日(水)
会場構成打ち合わせ@大阪市役所
ビアンカよりCIY会場構成の提案。限られた、本当に限られた予算の中で、CIYの告知ツールのイメージも踏襲しながら、ブリコラージュ的なやり方で、コミュニケーションを生み出す仕組みを考えてくれた。クリエイティブな人たちに囲まれたプロジェクトで、幸せを感じると同時に、ひとつひとつのプロセスに刺激を与えられ、自分の仕事にも還元されていく。

と、ここまでで字数オーバー。あと少しというところですが、大まかなところは拾えたと思います。CIYは次回開催も決定している?ので、第二回に向けたメディア展開のなかで、この続きも含めた記録が残せるような仕組みも考えてみたいと思います。

メモ:
・ほぼノープランで日記企画をやれば、案の定最後までたどり着かない!