2012年3月12日月曜日

C.I.Yを始めるにあたってのそもそも論のそもそも論(アサダワタルの場合)

「コミュニティを越境してお互いを“伝え繋ぐ”こと」

皆さん、こんにちは。「C.I.Y」本番3日前の2011年2月23日です。幾ばくかの焦りと高揚感を楽しみつつ進めています。
先達て2月19日に、この「C.I.Y」を主催する「中之島4117」の講座にて講師を務めさせていただきました。テーマは「編集最前線!?―住み開きとC.I.Y―」。僕が2年程前からほざき出した概念「住み開き」(自宅を代表とするプライベートな空間の一部を、人が集えるパブリックな空間へと無理なく開放すること )について。そして後藤さんと僕がまさに現在、こんな風に進めている「C.I.Y」のこと。この2つを、「編集」という視点で考えながら、どうやって日常生活での行動へと導線を引くか、みたいな話をしたのです。なぜ「編集」かと言うと、僕自身の活動コンセプトが「日常再編集」(目の前にある日常風景・状況を表現へと編集しなおすこと)であるから。「住み開き」は私/公の関係性を編みなおす作業だと思っているし、「C.I.Y」は自分野・自領域を編みなおす作業だと思っています。参加者20数名のうち、半数以上がC.I.Y参加予定者ということもあり、皆さん、大変熱心にこのお話を聞いてくださりました。ご自分の生活、仕事に引き寄せて。

ここからはさらに個人的なことを書かせていただきます。そもそもこの誌面はそういうコーナーだし、いいよね…。ですます調もやめます。
そもそも「日常再編集」という言葉を提唱し始めたのも、20代前半時期に、表現活動と生計仕事に関わるコミュニティの属性の差に、自分自身のアイデンティティを合わせていかざるを得ないところから、表現と生活を一致させるためのスローガンが必要だったから。ここ数年、多くの表現者が生計仕事との狭間で、フリーな感性と雇用されている社会的属性との狭間で、踏ん張っている事実を体現してきた。そして、このことは別にとりわけ自分を表現者と規定していない様々な分野の人たちの中でも、個としてのアイデンティティと、特定の社会集団の一員としてのアイデンティティに引き裂かれそうになっている事例も見てきたように思える。(もちろんそこんとこを超割り切って気持ち良く生きている器用な人も沢山存在すると思う)
僕自身、少なくとも20代前半期は、音楽活動と印刷出版社勤務のふたつのコミュニティを行き来し、いくつかの象徴的(!?)なコミュニティ分断の事例に立ち会った。事例って言う程、大したもんではないけど、まず、ギターを堂々と会社に持って行けないこと。ライブがある日は、会社に朝なるたけ早くに出勤して人目につかないようにそぉーっと自分のロッカーにギターを押し込む。ここの社長がまずもって、僕が音楽活動をしていることを良く思ってなかったから。(面接ん時に一応「音楽活動もちゃんと続けたい」ってこと伝えた上で採用されたにも関わらず、あとあと嫌味を言われるようになったり…)そして最も逆に爆笑してしまった事例は、スネアドラムをロッカーの横に置いていたらゴミと間違えられて粗大ゴミコーナーに捨てられてしまったこと。これにはさすがに焦った。大体中身空けたら置いた犯人は僕だってことくらい判るだろうに、ひょっとして虐められてたのかしら…。(そこは幸運にも鈍感ですから気づいてないかも…)というわけで、ほとんど会社では自分の音楽活動の話なんてできなかったし、唯一、まだ救われたのは派遣社員さんの存在で、4人の女性がいたんだけど、うち1人の子 Kちゃんは僕のことをどうも面白がって感じてたらしく、他の3人の女性にも「あの変な髪型してる男の子、なんか色々やってそうで面白いで」みたいな感じで、少し昼休みなどが楽しくなった。彼女たちとは、仕事の話もお互いの趣味やプライベートな活動の話もできたので、僕のライブに来てくれたり、そして僕がその最初に仲良くなった女の子の活動(仕事休みの日に富田林で手芸教室の先生をやっていた)のビーズ手芸の作品を見せてもらったり。そこでお互いが持っているコミュニティも交換しあうことが出来たから、僕がこのあと、ここの会社を辞めて大阪のアート系NPO「cocoroom」のスタッフになった時も、たまにKちゃんにもカフェスタッフとして手伝ってもらったりした。結局その派遣女子4人組が、僕にとって唯一の会社で安心して自然体で話せる人たちだったんだけど、彼女たちの契約が切れてみんな会社を離れてしまった。その後は、まぁまた元通りの居心地の悪い状態だ。まずもって契約フレックス社員という正社員ではなく完全にアルバイトってわけでもないという雇用状態のマイノリティさと、あと僕の部署はDTP課という部署で、僕の上司にあたる方々は全員当時35歳くらいの女性たち。しかもその3人の結束力はとても強く仲が良い。そんな中で10歳年下のちょっと個性のきつそうな男の子が一人入ってきて、しかもそんなにDTPの経験もないし、教えなあかんしってな感じで、さぞかしこの方々も僕のことを扱いにくかったであろう。結局、最後まであまりこの部署に打ち解けることはできず、また一年たった時に社長に「音楽活動をほどほどにして正社員になるか辞めるかそろそろ選択しろ」って言われて、辞める覚悟をした。まぁ多分、こんな話はよくある話だろうけど、僕にとっては、自分の個人の活動をほんの少しでも…、そう。お互いがお互いのプライベートなコミュニティの話をちょっとだけでも共有しながら会社にいられる環境があれば、だいぶ仕事が楽やったろうなぁと思う。それが出来ない環境だったから、自分でそういった環境を得られる、究極的にはひとつの人格で望める仕事を自分から作らないといけないと思い、会社を辞めた。

あれから数年が経過し、働き方関係の講座、社会起業系の講座や、美大生向けの大学講義などで講師として呼ばれることが多くなって、よく当時のことを振り返りつつ話すことがある。やはりどんな仕事に就くにしても、あらゆる分野やコミュニティを越境して、お互いを“伝え繋ぐ”ことができれば、結構、人が人として、気持ちよく生きられる根本的な解決になると思っている。まさに3日後に迫る「C.I.Y」では、「C.I.Y」な人生を送るゲストの方々と皆さんとの橋渡し的な役割をできるだけ積極的に買いたいと思う。皆さんの1日24時間のあらゆる活動を再編集して、新たな日常表現を獲得する導線をなるべく引く事ができればと思う。本当に微力で頼りない仕切り人ではありますが、どうぞ皆さん「C.I.Y」存分に楽しんでください。

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